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「『庭』とは何か?」に対するひとつの私的解答|Plant

庭は、その人自身を表す鏡であり、哲学そのものだと思う。

私はこれまで、ガーデニング誌の制作を通して
肩書きや年齢、国籍、ライフスタイル、敷地条件などによって
性格の異なる庭を実に多く見てきた。

ひと鉢の寄せ植えや、
裏山から摘んでくる季節の山野草を
庭と呼ぶ者もいた。

彼らに共通するのは、所有するという感覚であり、
同時に、自然相手に所有などできるはずはない、という感覚でもあった。
話を聞けば聞くほど、なるほど、その人にとっては確かに
かけがえのない存在として
各々の暮らしにぴったりと寄り添う「庭」なのだ。


ガーデンやジャルダンという言葉は、
もともと「囲いのある土地」のことを指すらしい。

柵の外には森があり、人間以外のものの棲家とされる。

驚くのは、「パラダイス」も、古代ペルシャの
柵で囲まれた土地に語源があるという事実だ。

レヴィ・ストロースという人物をご存知だろうか。
人類学や民俗学を研究したフランスの学者/思想家で、
「構造主義」を広く提唱した人物。

構造主義とは1960年代に登場した現代思想で、
詳しくはウィキペディアやその類の文献を参照してもらいたい。
が、乱訳させてもらうならば、人間に発端するすべての事象や現象は
構造で成り立ち、構造は、要素間の関係性の差異で
成り立っているということであろうか。

今、私が見ている新しいMacBookも、
「zakka 」でひと目惚れし、いまや我が家を構成する
ひとつとなった湯のみ(白湯が入っている)も、
あるいは、南を向いた窓から見える東京の空も、またこれらに伴う感情も、
同時代、同国に生まれ、同環境に生きる人たちとの間では
多くを共有でき、共感できるのだろう。

『レヴィ=ストロースの庭』(NTT出版)を読んだ。

写真家である著者の港千尋氏が、
「三位一体モデル」で有名な文化人類学者/哲学者の中沢新一氏らとともに
ブルゴーニュにあるレヴィストロースの自邸を訪ねるところから物語は始まる。
動物の剥製や標本が並ぶ静かな部屋に彼らは通された。
教授の座る机の窓には広大な庭が広がり、川が流れ、池には水鳥の姿が映っている。

本のタイトルからいくと、氏の庭の写真が
ふんだんに散りばめられた構成を予期するが
そこに、そうした「実存主義」は見つからない。
同書の帯にはこう記されている。
「ブルゴーニュの森のレヴィ=ストロース邸から、
神話世界にゆかりのある大地をめぐる100歳を迎える知性とともに」

自然や構造主義、人口問題…あらゆる質問を投げかける一行に、
レヴィ・ストロースは彼の研究対象のひとつであった神話や記憶をもって、
ひとつひとつ鋭く研ぎすまされた答えを返していく。

「彼の半生をかけて周航した神話世界のほんのひとかけらにすぎない」旅を
エクアドル、石垣島、アマゾン、
オーストリアなど著者が撮影した神話世界にゆかりのある
モノクロームの写真とともに綴り、読者は空気を共有するのだ。

やがて「旅への帰環」と題されたレヴィ・ストロース邸の
窓辺の写真とともに、静かに物語は幕を閉じる。

氏の庭園にあるのは原種のスミレやジギタリス、
雑草のたぐいの野生植物が多く、
より自然に近いうっそうとした形態を帯びている。

目に映るものはあるままにすぎない。

しかし、ページから鼓動すら聞こえてきそうな、
レヴィの記憶から蘇る談話のひとつひとつや
氏の知性へオマージュを捧げた写真群は
少なくとも彼自身のガーデンを構成するに
ひと役買っていたであろう、記憶の断片ではないか?

そう思うと、氏の思うところの「自分の庭」とはどういった姿であるのか
もっと読み取れるものはないものかと
私はただただ、写真をじっと見つめてしまうのである。



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